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カフェ2 [奏楽の森CAFE]

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2Fの店舗図面(最終)

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1Fの店舗図面(最終)

私の父親が38歳の頃、祖父が創業した土産屋からの独立を決意した。時代はまさに大観光時代。店舗住宅を合わせた3階建ての建物を決断したとき、ストレスで胃に穴が開き、胃の半分を切除した。

私の一番小さな時の記憶。たたみ一畳ほどの薄暗い箱の中、妹と「静かに、騒いだらダメ!」と言っている光景。外の世界は騒がしい。箱の中から時折母親の顔を眺める。一所懸命に木彫りのペンダントを売っているようだ。

寒い冬のある日、また父親が何か重大な決断に迫られているようだった。アツヒロ(私の名前)タクシー会社をやる事にしたと。土産屋の経営が軌道にのった頃、店舗の後ろのタクシー会社から、経営を引き継ぐ事になった。畑違いも畑違い、よく決断したと今でも思う。

それから5年、お土産屋の店舗の増築と、タクシー会社の社屋の建て替え。私が高校、大学と実家を離れている時も、会社は大きくなっていった。

私が23歳の頃実家に戻り、家業のタクシー会社に就職したころ、土産屋さんを閉める決断を両親がした。売上もピークを過ぎ、これより先は厳しい経営が予想された。十分に働いた両親、特に母親の体調面を気遣った父。本当は、自分がお土産を引き継ぎたかった。しかし、俺にやらせて下さいとは言えなかった。土産屋を閉めて、店舗として貸し出した時から、いつかは自分が・・・と。

それで、7年ばかり隣町のタクシー会社さんの経営にあたった。

観光地と言う特殊な環境の中で育ち、一度は離れてまた戻り、父が建てた店舗で自分の商売をはじめる。

今でこそ、登山やスケートと自分の趣味の時間を取る父親だが、朝から晩までとにかく仕事の人だった。いつだかお酒を一緒に飲みながら、私が「仕事人間ですよね」と言うと、「本当は、働きたくない」とぽつりこぼした時、言葉がでなかった。

父の決断に比べれば、大したものではないだろう。でもいつかは自分で商売を。やってみます。

店舗図面の補足

・1F 奥カフェスペースから外のテラス席に出入り可能。月二回ぐらい阿寒町の野菜市なんかを開きたい。
・1F 奥のキッチンスペース、すぐには活用できないけど、ジェラートの機械入れたり、ピザやチーズ作り体験のキッチンスペース。いろいろコラボできたらいいな。
・1F 繁忙期と閑散期で店舗を仕切るスライダー、設計士の塚本さん、ありがとうございます!エコです。

・2F ギャラリースペース奥、こちらも当初は活用を考えていませんが、貸オフィースや、アウトドアグッツの販売、旅行会社の窓口、何かクリエイティブな作家さんに貸す工房など、拡張性があります。是非お声かけください。

次回はコンセプト的な話。
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雅

那覇に支店を作って欲しかったのですが、
東京への転勤が決まってしまいました。
北海道へも行くことが出来ませんでしたねー
by (2013-03-17 20:03) 

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